四国八十八か所歩き遍路1日目 (新宿バスタ – 徳島駅 – 霊山寺 – 極楽寺- 金泉寺 – 大日寺 – 地蔵寺 – 民宿寿食堂)

四国お遍路2024年春

この旅行記について

ブログを開始して、まず量をこなそうと思い、今年の3月から4月にかけて歩いて廻った四国八十八か所の旅行記を書くことにしました。いくつか読んでいただく方への注意点を記します。
・どちらかというとその日にあった出来事や感じたことを中心に書いています。ブログによってはそれぞれのお寺の紹介や所要時間/距離、泊まった宿の詳細情報を載せていますが、当旅行記ではそういった内容は書いていません。そもそも旅が終わって少ししてから書いているのでどのお寺がどうだったとか記憶が曖昧ですし細かい記録も取っていないので。従って、これからお遍路に出る人が細かい情報を取る目的には適していません。どちらかというとお遍路に興味があって様子を知りたい、お遍路の予定は無いが読み物として読むという方向けです。
・とはいえ、お遍路のTIPSを途中にいくつか入れているので、ある程度の情報提供にはなるかもしれません。
・他のお遍路の方や宿の方など現地の方と写真を撮ることもありましたが、当時ブログを書くとは思っていなかったのでブログに掲載する承諾をとっておらず、ブログには載せていません。

歩きへんろのきっかけ

昨年60才を機にリタイア。ひとり旅が好きなので長めの旅でどこに行こうかと考えた。ひとり旅は自由気ままでいいのだが、食事や宿では寂しさを感じることもある。巡礼やおへんろなら同じ目的の人と仲良くなれるし目的のある旅になる。10年前に長期休暇を取った際にスペインのサンチャゴ巡礼(北の道)を2週間弱歩いたことがある。巡礼路全体では800キロありひと月ほどかかるので、そのときは途中から半分弱を歩いた。今度は完走を目指そうかとも思ったが、円安のご時世だし、まだコロナも少し不安である。以前、四国のお遍路に関しては作家の宮田珠己さんや歌人の黛まどかさんの旅行記を読み面白そうだと思っていたので、まずは国内を旅しようと四国八十八ヶ所のお遍路を行うことにした。季節の良い3月に発つことにし、せっかくなので、弘法大師の入定日である3月21日から歩き始めることにした。

一口にお遍路と言っても、以下のような種類がある
・交通手段(自動車、団体ツアー、バイク、自転車、徒歩)
・通し打ち(いっぺんに全て廻る)か区切り打ち(何回かに分けて廻る)か
・順うち(1番礼所から廻る)か逆打ち(88番礼所から廻る。今年のような閏年は縁起が良いとされる)か
・宿に泊まるか、野宿主体か
私は時間もあるし体力も多少あるので、歩きへんろで通しで行くことにした。逆打ちは初めての人にはハードルが高い(道案内は順打ち向けなので)ので順打ち、野宿はきついし荷物も多くなるのですべてお遍路宿かビジネスホテルに泊まった。

新宿バスタ – 徳島駅 – 1番礼所 – 2番礼所- 3番礼所 – 4番礼所 – 5番礼所 – 民宿寿食堂 初めての参拝、初めてのお接待、初めてのお遍路宿

公共交通機関で東京方面から徳島に行くには主に飛行機バスの方法があるが、これから歩き遍路するにはなんとなくバスが似合っているのと乗り換えも少なく思ったより速い(サービスエリアでの複数の休憩含めて9時間半)のでバスで移動することにした。もちろん安いし。

前日の21時にバスタ新宿を出て、徳島駅前に6時25分に到着。すぐに高徳線に乗車し、7時には出発地点の坂東駅に着いた。宮田珠己さんの本にも書いてあったが、出発地点とはいえ何もそれらしきものは無く、普通のローカルな駅である。出発を奮い立たせるものは何も無い。同じ電車から降りたお遍路姿の旅人が唯一お遍路開始を感じさせる。

坂東駅を降りて駅出口へ向かう陸橋から

早速、案内板に従って1番礼所霊山寺を目指す。歩き遍路はこのような案内板と皆持っている黄色い地図の本、地図アプリを駆使して道を確認する。サンチャゴ巡礼の場合は黄色い矢印が道の上にも書いてありわかりやすいが、四国の場合は基本は看板や石碑のみであり、デザインの統一感も少々欠けている。まあ案内が置かれた時代がまちまちで古いものは江戸時代の道標もあるので仕方ないですが。。。なお、日本語のみの道標も多いが、外国人向けにはお遍路アプリがあるので意外に迷う人は少ないようだ。

道案内の看板

程なくして1番礼所霊山寺に到着。

霊山寺山門

まずはお寺の脇にあるお遍路グッズの店に向かう。お遍路のそろえるものとしては以下のものが挙げられる。
 身支度     - 白装束(上/下)、菅笠、金剛杖、輪袈裟
 参拝に必要な物 - 納経帳、経本(般若心教などお経が書いてある冊子)、蝋燭/線香、納め札(本堂と大師堂に納めるお札)、さんや袋(これらのものを入れる肩掛け鞄)
このうち納め札はあらかじめ氏名や願い事などを記入する必要があるので経本とともにあらかじめ通販で購入した。(他にお遍路用の黄色い地図本、般若心経が書かれた手拭いなども通販で購入。)
身支度については少し迷った。何を買うか店員に相談したいが他の客が同じように相談していて直ぐに空きそうもない。結局、あまりきっちりとした格好も好みでないので白装束の半袖のみ購入。他に納経帳の小さい方、蝋燭/線香を購入した。トレッキングポールを持ってきたので金剛杖は買わず。菅笠は頭がきつそうだし、がさばりそうなので購入しなかった。さんや袋はこの時は購入しなかったが、参拝時に参拝用品をリュックから出すのが面倒なことに気づいたので、翌日のお寺で購入した。他のお遍路さんは上下白装束、菅笠、金剛杖姿の人がほとんどで、外国人も揃えている人が多かった。菅笠については日焼け防止、雨傘代わりになると肯定的な人が多かった。私は頭は般若心経の手拭いを巻いて歩いた。

霊山寺売店前のマネキン

お寺の参拝は一礼してから山門を入り、手水場で手と口を清め、鐘を撞き(鐘撞場が無いもしくは鐘撞き禁止のお寺もある)、本堂で蝋燭1本と線香3本を立て、賽銭、納め札を納め、お経を唱え、礼拝する。次に大師堂に行き、同じことを繰り返す。参拝が終わったら納経所に行き、納経料を払って、納経帳に墨書と朱印をいただく。納経料は長く300円だったが、今年の4月から500円に値上がりした。

無事に最初の参拝を終えて、おへんろ道で前を歩いていた外国人の若い女性を追い越すと、サンチャゴ巡礼したのかと聞かれる。ザックにサンチャゴ巡礼のシンボルのホタテ貝をつけていたため。四国をお遍路する外国人はサンチャゴ巡礼経験者が多いのでこうして声をかけられたり、『ブエン・カミーノ(スペイン語で良い巡礼を!という意味。サンチャゴ巡礼の挨拶言葉)』と言われる。歩きながら話すと、イタリア人の女性で、昨年末にサンチャゴ巡礼の北の道を歩き、四国のお遍路が終わったら熊野古道を歩くらしい。日本人の歩きへんろは定年後の男性が多いが、歩きへんろの半数を占める外国人は若い人、女性が多い。遠くから来るので通しで打つ人がほとんどなのは当然だが、おへんろの前後に他のアジア諸国に行ったり、熊野古道や京都に行ったりと長い旅をする人が多い。その分、女性でも野宿して宿代を倹約する猛者も多い。

サンチャゴ巡礼のシンボルのホタテ貝、四国お遍路のシンボル(これは後に遊庵というお宿でもらった)

2番礼所極楽寺、3番礼所金泉寺を打って歩いているとへんろ道の脇にあるお寺風の庵の縁側に座っている白人男性に手招きされ、缶コーヒーとお煎餅をいただく。初めてのお接待を外国人から受けるとは思わなかった。しばらく話していると通る人全員に声をかけている。お遍路初日の人達にこうして親切にしておへんろに好印象を与えるのは素晴らしいことだと思った。彼からは5番礼所手前の五百羅漢が素晴らしいので寄った方がいいと勧められる。確かに素晴らしかった。

初日のお寺は間隔が狭く、4番礼所大日寺、5番礼所地蔵寺を打つ。道の途中に飲食店は無く、地蔵寺のそばのローソンで遅めの簡単な昼食を取る。初日ということでこの日は全部で20キロほどというこの後を考えると短いところにある民宿寿食堂に到着。もう少し先の宿が予約できなかったためだが、重いザックに慣れていないためか最後は少しばてたのでちょうど良い選択だったかもしれない。まだ14時過ぎだったが無事に部屋に入れていただく。ちょっと驚いたのが部屋に鍵が無いこと。そんなに気にはならないが、風呂に入る時は貴重品を持って行かねばならない。

おへんろTIPS)お遍路で泊まる宿
・私が利用した宿は、おへんろ宿(民宿、旅館)、ビジネスホテル、礼所内にある宿坊。他に善根宿と言われる主に野宿で廻っている人向けの無料の宿がある。
・おへんろ宿は2食付きのところが多いが素泊まりの宿もある。2食付きであっても1食だけや素泊まりを選択することもできる。チェックインは3時か4時のところが多い。チェックイン時間より多少早くても入れてくれる宿は多いが、厳格にチェックイン時間を守る宿もある。夕食は18時か18時半、朝食は6時か6時半が多い。全員が決まった時間に集まる形式と複数の時間帯から宿泊客が選択する形式がある。ほとんど全ての宿は洗濯機、乾燥機を備えている。両方無料の宿もあるが、有料(100円か200円)の宿が多い。その場合、乾燥機の方が高い。風呂は大きめの宿では複数の人が入れるが、民宿タイプはいわゆる家族風呂で先着順に入る(宿の人が順番に呼んでくれる)。早く行くと洗濯機や乾燥機が埋まっていることがなく、風呂も早めに入れるので、私は基本、チェックイン開始時間直後に間に合うよう歩いていた。
・宿坊は基本的にはおへんろ宿と同じシステム。食事は肉や魚も出てお酒もOK。朝夕の勤行を体験できるお寺もある。

夕食は民宿が運営している食堂でいただく。こちらの民宿は名前に食堂と付く通り、時間によっては食堂としてもやっているようでたらいうどんなどを出しているよう。夕食は野菜がたっぷり入った鴨鍋で〆にうどんが出た。美味しかったが、他にサイドメニューは出ない。小上がりでは民宿の女の子がテーブルで勉強しており、昔を思い出す風景で懐かしい。食事を一緒した6人中4人は外国人。ちょっと伊藤沙莉似の女将さんは親切で、翌日の宿を予約していない外国人の代わりにおすすめの宿に予約の電話してあげたりと忙しい。

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