四国八十八か所歩き遍路28日目 (ホテルAZ内子 – 大寶寺 – いやしの宿「八丁坂」)

四国お遍路2024年春

久万高原への道を間違えるも救いの神現る。夜は大きな地震

朝、宿の近くの内子座を外から見学。

この辺りは卯之町から大洲、内子と風情のある街並みが続く。ただ、道が入り組んでいて町を出るのに少し戸惑う。

その後、交通量の多い街道沿いをうんざりしながら1時間ほど歩いていると、停めてある車から若い人がこちらに歩いてくる。何かと思ったら、ここは遍路道ではないと。内子の町を出る際に379号を行くべきところを左の56号に行ってしまったようだ。ここは間違える人が多く先月も3組ほど間違えた人に教えたとのこと。1時間ほど戻らなければならないが、彼も戻る用があるので車で送りますとありがたい申し出をいただく。間違った分岐点から正しい道を少し行った所で降ろしてもらう。お礼に1,000円をお渡ししようとすると一度は固辞されたが、ちょっと待ってくださいと車の後ろに行って荷台を開けた。彼は仕出しの仕事をしているらしく、荷台にはちらし寿司やお稲荷さんなどが詰まっており、代わりにお好きなものをお持ちくださいと言われた。最近はお昼を軽くするのに慣れて、食べない方が快調なことが多いが、かえって申し訳ありませんと言いつつ、ありがたく太巻きをいただく。

青年にもらった巻き寿司

今日は700メートルの登りを含む40キロ近い工程なのに時間をロスしたため、このままだと宿に着くのが遅くなりそうである。迷った末、一部区間の歩いて1.5時間相当分をバスに乗ることにする。
途中で大瀬を通る。ここは大江健三郎の出身地であり、戦後日本文学の代表作ともいえる「万永元年のフットボール」などの舞台になった<谷間の村>である。ただ、当然かもしれないが、特別な雰囲気は無く普通の田舎だった。
バスを降りて山間の道へと進む。今日は700メートルほどの高原に行くので山道が多いのかと思っていたが大半は舗装路で、暑さもありしんどい。途中の休憩所で青年にもらった太巻きを食べる。具がたくさん入っており、美味しい。

峠から久万高原を臨む

下坂場峠、鴇田峠を越えて久万町に入り44番礼所大寶寺を打つ。これで88霊場のうちのちょうど半分を打ったことになる。この日はほとんどお遍路さんに会わなかったが、礼所の手前で初めて5人組の外国人へんろを見かける。

大寶寺

さらに遍路道をしばらく進み、今日の宿の癒しの宿「八丁坂」に16時頃着いた。バスを使わなくても18時の食事時間には間に合ったか。

癒しの宿「八丁坂」

宿は44番礼所と45番礼所の拠点となる有名な宿で部屋数も多く、日本人、外国人それぞれ10人以上が泊まっていた。こんなにお遍路さんがいるのに、外国人5人組以外は途中の道でほとんど見かけなかったのが不思議である。夕食は東京から来た60才過ぎで日本100名山制覇の逆打ちの人、足を痛めて座敷に椅子を出して座っている40代くらいの大阪の人などと話が盛り上がる。料理は品数も多く美味しい。私の足は完治したが病院でもらった塗り薬が余っているので、足を痛めている人に差し上げた。

夜寝ていると23時過ぎに大きな揺れがあり、スマホの地震警報があちこちで鳴り響く!テレビをつけると数日前に通った宿毛や愛南町のあたりが最も揺れが大きく震度6、ここも震度4くらいか。外国人は地震にも地震警報にも慣れていないので騒ぎになるかと思ったが、意外にも宿は静かである。少し不安だが眠気に勝てず、家にLineした後で眠りに落ちる。

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