ぼくが生きてる、ふたつの世界

映画

ふたつの世界は別の世界ではない

結婚して子供を二人産んで育てた呉美保監督の『きみはいい子』以来9年振りの待望の新作。『そこのみにて光輝く』で数々の賞に輝いたが、個人的には『きみはいい子』も大好きな作品。公開直後にも関わらず、早くもTAMA映画賞(9月末までの公開作品が対象)の特別賞と最優秀男優賞(吉沢亮)を受賞するなど評判も高いが、実際、観たほとんどの人が称賛するだろう秀作だった。ちなみに10月3日に発表されたTAMA映画賞の最優秀作品賞は『夜明けのすべて』と『ぼくのお日さま』であり、さすがの選定である。日本アカデミー賞をはじめとしてトンチンカンな選定をする映画賞が多い中、TAMA映画賞はキネマ旬報ベストテン、ヨコハマ映画祭などと並んで旧作を見るべきか参考にする際に信用できる映画賞である。

耳の聞こえない両親のもとで生まれた健常者(いわゆるコーダ)である主人公の大と母親との関係を主人公の誕生から自立するまでを描いている。宮城県塩釜の海沿いの田舎町と東京が舞台。ふたつの世界とは、耳の聞こえる人たちの世界と耳の聞こえない人たちの世界を表していると思うが、故郷(周りに自分の境遇を知っている人たちがいる世界)と東京(自分の境遇を知らない人ばかりの世界)とも言えるし、自らの生き方を実践できている人たちの世界とそれができていない大とも言えるのではないか


大はもともと耳の聞こえない両親のために主体的に手話を覚えて、母親を助けてあげていた優しい子供であったが、障害者の子供という理由で悪戯の犯人呼ばわりされたり、友達として初めて家に来てもらった子に(悪意はないのだが)母親の話し方を不思議がられたりで、次第に母を疎むようになる。脚本の港岳彦はここ3年の映画化脚本だけでも蜜月(監督の問題で公開中止)、とんび、アナログ、正欲、ゴールドボーイと大変な売れっ子だが、本人も重度の知的障害を持つ弟を持ち(この映画では編集部の上条を同じ境遇にしている)、子供の頃は弟と一緒の姿を見られるのが嫌だった経験があるようで、このあたりの描写は自然である。
母親は主人公に面と向かって酷いことを言われても悲しい顔をするだけで、主人公の様々な決断をにこやかに支援する。父親もおおらかで屈託のない人物であり、理想的すぎる両親像であるが、同居する元ヤクザの粗暴な祖父(安定の存在感のでんでん)と新興宗教にはまっているおしゃべりな祖母(クレジットを見るまで烏丸せつこと気づかなかった!)の個性的な存在によってバランスが保たれている。


これらの家族は良いか悪いかは別としてそれぞれに自分を持っている。塗装業という手に職を持っており常に泰然自若な父親。常に笑顔を絶やさず、一方で息子に濡れ衣を着させるような不当な行為には大声で抗議する母親。男は一つだけ誇れるものがあれば良く、自分の場合は博打だと言い切る祖父など。それに対して大は自分が何をすべきかが見出せず、母親に当たっては自己嫌悪に陥る。母親に当たった後で心配した母親が主人公の部屋に話に来ると、常にベッドの上に横たわり母親と目を合わせず対峙することもできないのが象徴的だ。母親との関係、そして現実に対峙できない自分を変えるために上京しても、投げやりな生き方は変わっていない。役者のオーディションでもろくにセリフを覚えておらず、編集者の面接で好きな本を聞かれても考えた末にハリーポッターとしか答えられない。入社できた編集部でも『でもなんか、こうなりたいみたいなのないんですよね』という大に編集長から『大も何かにしがみつけたらいいよな』と言われる。


ここで今までの大を変える二つの出来事が起きる。一つは週刊実話的な怪しげな雑誌編集部(と言っても大を入れて4人の編集部)への入社。くだけた編集長(ユースケ・サンタマリアがはまり役)との面接でつい話したユニークな祖父の話がウケて思いがけず採用され、それを契機に生き生きと働くようになる。
もう一つはパチンコ屋のバイトで出会ったろう者のススメで入った手話サークルでの新たな出会い。母親に反発してからは使っていなかった手話を勉強し直そうと決心して入ったのだろう。仲良くなったろう者との飲み会のレストランで代表して注文をしてあげると、(自分たちにできることを)取り上げないでね、とろう者の友人から言われ、ろう者の思いを知る。

最後、東京へ帰る列車の中で開いたパソコンで、大はぼくが生きているふたつの世界を描き始めようとタイトルを書いたところで映画は終わる。大は自分の境遇をオープンにし、耳の聞こえる人に耳の聞こえない人の生活や思いを伝えることに自分の生きる目的を見出すのである。つまりふたつの世界は交わらない世界でなく、共生できる世界なのである。

一貫して家族の在り方を描いてきた李監督であるが、『きみはいい子』での高良健吾尾野真千子がそうであったように、ある何気ない出来事をきっかけに変わっていく人物を描かせるのが上手である。また所々にユーモアが入っており、でんでんやユースケがコメディリリーフを担っている。タモリや三浦友和に言及するくだりは面白く、全体的に映画は重さを感じさせない。
大が東京に出てからはしばらく母親を直接描写せずに、父親の見舞いに帰省した主人公を駅で母が見送る際に、大が東京へ出るときの母親との交流を回想するシーンを最後に持ってくるのもうまく、より自然に感動できる。回想シーンで大は人の目のある電車の中でも手話で楽しく母親と会話し、電車を降りた駅のホームで母親から感謝される。言い終わった母親は立ち止まっている大に気づかず歩き始める。ホームには電車の音や蝉の鳴き声が聞こえるが母親には聞こえない。

最後に役者陣について。吉沢亮は手話のシーンも自然だし、荒れている中高時代と東京に行ってからの風貌や目付きの使い分けも見事だった。また子役も演技はもちろん、いかにも吉沢亮の幼い頃というルックスで、よく見つけてきたなという感じ。
ろう者の役はすべてろう者の役者が演じているそうで、自然である。母親役の忍足亜希子は母性を感じさせる優しい表情で、ポニーテールにした20代から28年間を演じているが違和感が無く、この人以外のキャスティングは考えられないほどである。

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